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2014年9月 6日 (土)

父の思い出


私の父は、神戸で育ちました。
無口で、よく働く父でした。
太平洋戦争の時は、兵隊さんになり、南方で戦いました。
日本が戦争に負けて、日本に帰って来てすぐに故郷の淡路島の女性と結婚して、神戸の川崎重工で働きました。

家は、長田区の川崎重工の社宅。
京間の8畳一間の狭い部屋でした。
毎日、造船所のボイラーマンとして夜遅くまで働き、徹夜や夜勤もよくしていました。

私はひ弱な少年でしたが、勉強だけは少しできたようです。
小学校6年生の時に、担任の先生から私立中学校の受験を進められて、私学の関西学院中学部を受験しました。見事合格!

その時、担任の先生も喜んでくれましたが、親が「その中学校に行かせる」と言ったら、驚いて家に飛んで来ました。
先生としたら、勉強のできる子供に受験させて、合格したら学校の評価が上がると思っただけだったようでしたが、私の父は「合格したのだから、行かせる!」いいました。
それから父の苦労がまた増えました。
学費を稼ぐために、夜勤と徹夜の連続で頑張りました。

勿論、母も内職でよく働きました。
結婚前に身につけた技術で、真珠(人工真珠)に糸を通す仕事です。

今、私が住んでいるのは、その父母がその後も働いて働いて手に入れた、狭いながらも鉄骨造りの3階建ての一軒家です。

あの阪神淡路大震災の時は、ニュースを見て、私は横浜から駆けつけました。新幹線は名古屋までしか行きませんでした。
彦根に住む弟の家に行って、「神戸に行こう」と言いました。
「お兄ちゃん、無理やで!」と言う弟に無理やり運転をさせて、神戸に向かいました。

やっぱり、道がありません。
高速道路はあちらこちらで落ち、地上の幹線道路も寸断されて、途中、弟の車は、山に登り、海に降りて、あちらこちらで火の手が上がる地獄絵の街を、それでもなんとか少しづつ、西へ西へと向かいました。

やっと家の近くまで着いた時には、夜が明けていました。

そして、家に着いた時に・・・
父は焚き火にあたっていました。
焚き火といっても燃やしているのは、壊れた家の木材です。

そして、我々二人に気づいた父は、「オッ」と嗚咽をもらし・・・、そして、父の目からは涙が流れていました。

とるものもとりあえず、両親を乗せた弟の車は、彦根の弟の家に向かいました。
帰り道も、道なき道で、地獄絵の街を東へ東へと向かいました。

・・・

今は、その神戸の両親の家に、一人で住んでいます。

母は、近くの介護施設にお世話になっています。
毎日のように見舞いに行っていますが、92歳の母がこの家に戻ってくることはないでしょう。

ーーー

この家には、今も一枚の表彰状が飾られています。

平成5年の創立記念日に、富士通の関澤社長から直接、手渡された表彰状(社長賞)です。

私の人生で唯一の誇り、
そしてそれは、唯一の「父への親孝行」になったのでしょうか?

今日もまた、眠れない夜を、一人神戸の実家で過ごしている私です。

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