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2016年8月

2016年8月31日 (水)

今朝も朝食前の散歩は、富士見台古墳

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今日は、特別に足の長い私(*^_^*)


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富士見台古墳。

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2016年8月30日 (火)

今朝の散歩で出会ったネコちゃんたちと、

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ハトと、

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クレーン(*^_^*)


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◆ 「まず、根性論を捨てる」(転載)

日本柔道復活を成し遂げた、井上康生流「大改革」そのすべて(転載)

惨敗のロンドンから、躍進のリオへ
「大奮闘」と言ってもいい記録をリオ五輪で残した日本選手団。その躍進を支えたのは、柔道だった。

4年前は金メダルゼロに終わった日本柔道がなぜ復活を遂げたのか。「井上改革」その全容について、過去五度オリンピックを現地で取材している、ノンフィクションライターの柳川悠二氏が解説する。

ブラジル・リオデジャネイロの地で、日本選手団は、史上最多だった2004年アテネ五輪の38個を抜く41個(金12、銀8、銅21)のメダルを獲得した。4年後の地元開催に向け、日本のスポーツ界全体が活気づく結果だろう。中でもかつて〝お家芸〟だった男子柔道が復活を果たしたことが、この快進撃を支えた。

12年ロンドン五輪で、男子柔道は史上初めて金メダルがゼロに終わり、母国としての威信は失われた。立て直しを敢行したのはロンドン惨敗の責任を取る形で辞任した篠原信一氏(現タレント)に代わって監督に就任した、井上康生である。

筆者は4年前、前監督である篠原信一氏や、当時、強化委員長を務めていた吉村和郎氏の横暴を度々指摘した。強化合宿をすればやたらと量をこなさせる前時代的な指導は、問題をはらんでいた。

気合いだ根性だ、とやたら精神論をぶち、午前中は走り込みや寝業、午後は乱取りと単純で画一的な練習を選手に課していた。以前のように階級別に担当コーチが決まっていたわけではないために、選手は誰を頼ればいいのか混乱していた。

首脳陣はケガを抱えた選手にも合宿への参加を強制し、国内大会への出場を義務づけ、選手が拒否すれば「代表選手から外す」というような脅しめいた言葉を投げかけた。13年2月に、女子の複数選手によってパワハラ告発がなされたが、そういう体質は男子にも根強くあった。

当時、特別コーチとして帯同していた井上は選手や所属先の声に耳を傾け、首脳陣に対し「担当コーチ制の復活」などを訴えたが、採用されず。首脳陣と選手の板挟みに遭っていた。

いわば惨敗すべくして金メダルゼロに終わったのがロンドンだった。帰国後、篠原氏は引責辞任し、吉村氏はしばらく強化委員長に居座ったが、助成金の流用疑惑によって失脚。不祥事を期に体制がまるっと一新されたことは、新たに監督に就任した井上にはむしろ幸いしたかもしれない。井上は次々と改革を断行していく。

テーマを絞る合宿、公平な選考
まずは強化合宿改革だ。合宿ごとに「技術合宿」「追い込み合宿」などとテーマを絞り、強化の目的をはっきりさせた。そして念願の担当コーチ制を復活させた。各階級の担当コーチは全日本強化合宿だけでなく、所属先での練習にも顔を出し、選手のコンディションを把握した。結果、選手の所属先とも良好な関係が築け、全日本チームと所属先とが連携した動きが生まれ、さらに外国勢の研究も二人三脚で行うようになった。

またオーバーワークを避けるために、初秋に行われる世界選手権に出場した選手には、初冬にある講道館杯の欠場を許可した。代表を争う選手達が「公平」に思うような横一線の競争を課し、そうして選ばれたのが今回の男子代表7人だった。

井上康生の柔道を初めて目にしたのは、彼が小学5年生の頃だった。当時から既に「山下(泰裕)二世」と騒がれ、小学生のタイトルを総なめにしていた。私事で恐縮だが、宮崎の片田舎の中学校でたいして強くもない柔道家だった私は、世界に羽ばたいていく彼を追うべく、スポーツ取材を生業とするようになったも同然だった。

高校から東海大相模に柔道留学した井上は、東海大4年時に出場したシドニー五輪において、オール一本勝ちで金メダルを獲得した。決勝の内股は、五輪史上、もっとも美しく、豪快な〝一本〟だった。表彰台では、前年に亡くなった母の遺影を掲げた。

日本選手団の主将として、金メダルが確実視されたアテネでは、五輪の魔物が彼を襲った。2度目の大舞台にもかかわらず、なぜか前夜眠ることができず、アテネの畳の上では憔悴した井上の姿があった。準々決勝で敗退し、敗者復活戦でも一本負けを喫した。

08年に井上は引退し、海外留学を経てコーチに就任。小学生から見続けてきた井上が今では監督なのだから、なんとも隔世の感がある。シドニーから数えてリオが5回目の五輪取材となったが、現役時代に栄光と挫折、歓喜と失望という両極端を五輪で味わった井上ほど、日本代表を率いるのにふさわしい監督はいないかもしれない。

選手を誇りに思う
あれは柔道競技初日の日。井上の大学の後輩で、金メダルの期待もあった60㌔級の高藤直寿が銅メダルに終わった。五輪の現場にいると日本の反応がなかなか伝わってこないものだが、金メダルを獲れずに「申し訳ない」と謝った柔道家の発言が話題になっていたという。

しかし、「金メダル以外はメダルにあらず」は、誰より五輪に挑む日本の柔道家が自覚していること。だからこそ、金メダルという唯一の目標が果たせなかった高藤を井上は労い、誰より銅メダルを讃えた。

「彼は私に、『金メダルの第1号をプレゼントする』と言ってくれていました。メダルの色は違えども、私にとってメダル第1号をプレゼントしてくれた。誇りに思います」

その言葉に、私は日本の柔道が改革に成功したことを確信した。再び篠原氏の話となるが、彼はロンドン五輪競技初日、銀メダルを獲得した平岡拓晃(60㌔級)が表彰台に上がる時には、既に吉村氏らと共に帰路についていた。どこの世界に、メダルを獲得した選手を放置したまま帰路につく指導者がいるだろうか。

さらに、平岡に対し、「ごくろうさん」の言葉をかけたのは翌朝だった。初日から首脳陣に対する選手の不信感が募っていたロンドンに比べれば、「井上先生のために」と話す高藤の言葉にチームの雰囲気の良さが伝わってきていた。

男子柔道にとって、08年北京五輪の石井慧(100㌔超級)以来の金メダルは3日目、73キ㌔級の大野将平だった。

小内刈り「一本」が炸裂して金メダルを獲得した際、大野はさも勝ったことが当たり前のように黙して、派手に喜ぶことはなかった。

「対人競技なので、相手を敬おうと思っていました。(五輪は)日本の心を見せられる場でもあるので、よく(高ぶる)気持ちを抑えられたと思います」

礼節を重んじながら、最後まで一本を狙い続けていく柔道を貫いた大野と対照的だったのが、5日目に90㌔級に出場したベイカー茉秋だった。試合途中に「有効」を奪うと、残り時間、彼は逃げ回り、試合終了を告げる銅鑼が鳴ると、両手を広げて咆哮した。

「(シドニー五輪における)井上先生の内股のように格好良く終わりたかったんですけど、なかなかできなかったです。でも、金と銀では全然違うということが、すごく分かっていたので、その気持ちがポイントを取ってからの試合運びに出てしまったという感じです(笑)」

東海大4年のベイカーに対し、井上は「俺もシドニーの時は東海大4年だった」と話し、五輪に挑む心構えを伝えていた。憧れの監督と同じ道を歩み、監督を男にしたい――。そんな気持ちにベイカーは溢れていた。ポイント奪ったあと、逃げ回るような柔道になったことに対し、井上も苦笑いだったが、「それもまたベイカーの意地」として咎めることはなかった。

大粒の涙を流して
監督に就任して以来、最大の命題に掲げたのが重量級の再建だった。かつては自身も「重量級で金メダルを獲らなければ、日本柔道の威信は保たれない」という気持ちで五輪に挑んでいた。

100㌔超級の代表が原沢久喜に決まった日、井上は原沢に電話を入れた。

「日本柔道の再建はお前に託したから」

原沢は難敵揃いの100㌔級を勝ち上がり、決勝でロンドン五輪の金メダリストで、世界選手権を通算8度制したテディ・リネール(フランス)と対戦する。JUDO界の〝絶対王者〟として君臨するリネールの巧みで狡猾な柔道に何もできず敗れたものの、東京に向けた試金石となるチャレンジだった。

日本の男子柔道は全階級でメダルを獲得(金2、銀1、銅4)し、復活を遂げた。全種目終了後、井上は報道陣の前で大粒の涙を流した。

「4年前は、屈辱というか、自分の無力さに悔しい思いを持ちながら、涙したことを昨日のように覚えています。今日においては、素晴らしい選手たちと素晴らしいスタッフと、最高の環境で精一杯戦えたことの幸せの涙。(全7階級でメダルを獲得して)歴史に名を刻んだ7人になったのかなと思う。誇りに思います」

井上は、わずか4年で日本男子柔道の立て直しに成功した。選手に寄り添い、選手を信頼し、選手の自主性に任せた指導でお家芸を復活させた。

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2016年8月29日 (月)

クレーンと青空

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台風は来なかった(*^_^*)

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2016年8月28日 (日)

今日は8月最後の日曜日なので、

月例会トーナメント。


⚪️⚪️連勝して、⚫️準決勝で負けて、⚪️三位決定戦で勝利❗️

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私の戦績は、なんと「第三位」(*^_^*)
賞金をいただきました(*^_^*)


ちなみに、参加者は13名、

参加費は¥1,000で、第三位の賞金は¥2,000でした!


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ひとりぼっちが、寂しい時は・・・

見上げてごらん、青空を!

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きっと青空が、
あなたの心を晴れ晴れさせてくれる!(幸一)

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2016年8月27日 (土)

第1回ジャンゴ東京フェスティバル2016

at 上野恩賜公園 野外ステージ

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たくさんのお客様(*^_^*)

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手を振ったら、笑顔で応えてくれたよ!

キュウちゃんの笑顔が素敵です(*^_^*)

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2016年8月25日 (木)

雲一つない青空と、

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クモと蜘蛛の巣と、

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バラの花(*^_^*)

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2016年8月24日 (水)

今夜のキュウちゃんライブ

at 神楽坂のMASH RECORDS、


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とてもステキでした(*^_^*)

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2016年8月23日 (火)

台風一過

ハト、ハト、ハト(*^_^*)

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嵐が過ぎ去って、青空!

空には、平和の象徴のハトが舞っています(*^_^*)

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2016年8月22日 (月)

町で見かけたナンバープレート

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「いいな いいな」(*^_^*)と

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「クッ クッ クッ クッ」(:^-^:)

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「私のモットーと、今月の目標」

それは、「歩く、感じる、考える」と、
火曜日以外の毎日通うたまプラーザ囲碁クラブでの囲碁の勝負の勝ち越し!

① 歩く:健康の為に歩く。例えば、碁会所通いの鷺沼-たまプラーザ間(1.5キロメートル、早足で片道20分。往復では、3キロメートル、40分。1ヶ月では(火曜日が定休日なので)3キロメートル✖️(30日ー4日=26日)
=78キロメートル

②感じる:iPhoneで(時々カメラで)風景や花や人物の写真を撮る

③考える:毎日通うたまプラーザ囲碁クラブで、囲碁三昧(*^_^*)

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2016年8月21日 (日)

今日の富士山(*^_^*)

徒歩で、たまプラーザから鷺沼に向かう東急のトンネルの上から、今日は久しぶりにきれいな富士山が見えました(*^_^*)


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1年前の、「1年前の思い出(*^_^*)」

①イグアスの滝(パノラマ写真)

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②イグアスの滝(ヘリコプターから撮影)

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③サンパウロでのワールドカップの開会式
(会場ではなく、サンパウロの人たちと、巨大スクリーンで見ました)

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④試合は、ブラジルのオウンゴールで始まりました

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⑤ネイマールの2発で、3-1でブラジルの勝利(*^_^*)

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2016年8月17日 (水)

「飛ぶ! 歩く! 矢上川のコサギ(自選写真集)」

飛ぶ!


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歩く!

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2016年8月16日 (火)

上野動物園に行って来ました

今日の10枚!

①パンダ

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②レッサーパンダ

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③ゾウ

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④白クマ

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⑤ゾウガメ

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⑥イグアナ

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⑦フラミンゴ

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⑧ハシビロコウ

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⑨サイ

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10)サル

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2016年8月13日 (土)

あれから、31年

坂本九さんの「上を向いて、歩こう!」を思い出しました。


https://m.youtube.com/watch?v=bbH754gScuk

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2016年8月12日 (金)

エッ!

「今日も午後は、たまプラーザ囲碁クラブで、囲碁の対局がんばるぞ!」と、碁会所に行ってみると、こんな張り紙が・・・


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(:^-^:)

そういえば何日か前に、こんなハガキが来ていました(:^-^:)

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8月5日の「白石プロの指導碁」は、しっかり覚えていたのですがね〜〜〜


その下の「8月12日 臨時休業」は、覚えていませんでした(:^-^:)

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今朝もベランダで、

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朝顔が・・・


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きれいに咲きました(*^_^*)

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2016年8月11日 (木)

史上30人目の偉業達成、イチローが試合後の会見で語ったこととは…

 マーリンズのイチロー外野手が7日(日本時間8日)の敵地ロッキーズ戦でメジャー史上30人目の3000安打を達成した。試合後には記者会見を行い、穏やかな表情で偉業について振り返った。

 3000安打到達までの苦悩や、恩師の故・仰木彬元オリックス監督への思い、そしてチームメートやファンへの感謝の気持ち。イチローは3000安打という金字塔に到達して何を感じたのか。

――3000安打を達成した率直な気持ちから。

「この2週間強、ずいぶん犬みたいに年取ったんじゃないかと思うんですけど、あんなに達成した瞬間にチームメートたちが喜んでくれて、ファンの人たちが喜んでくれた。僕にとって3000という数字よりも僕が何かをすることで僕以外の人たちが喜んくれることが、今の僕にとって何より大事なことだということを再認識した瞬間でした」

――高く上がった打球。本塁打を狙ったのか?

「いやいや、全く狙ってないですよ。そりゃイメージでは、ホームランになったらいいなとかね、考えますけど、そんなに甘いもんではないというのも分かっていますし、ただ打球が上がった瞬間は越えてほしいと思いました。ただ、結果的には、三塁打で決めたというのはポール・モリターと僕ということだったので、結果的にはそのほうが良かったなというふうに思いました」

――116本目の三塁打で、福本豊さんの日本記録を抜く一打となった。

「そうでしたか。あぁ。まぁ福本さんですからね。ごめんなさい、としか言えないですよ」

「2年くらい遅いですよね。感触としては。ずいぶん時間がかかったな」
――三塁にベンチからチームメートが少しずつ近づいていった。どんな気持ちだったのか?

「どういう形になるのかっていうのは僕にも全く想像できなかったわけですから、おそらく一塁の上で達成するなと。達成するなら多分シングルヒットだろうなという風に確率としては思っていたので、チームメートに労力をかけなくてよかったなと思います」

――27歳でのデビューは3000安打到達者でも最も遅い。そこからここにたどり着いたことについては?

「そのことはそんなに僕の中では大きなことではないんですけれども、2年くらい遅いですよね。感触としては。ずいぶん時間がかかったなという感触です」

――2998安打になってから、9日間進められない状況。でも、いつも敵地でも素晴らしい迎えられ方をした。どんな気持ちで毎日を過ごしていたのか?

「セントルイスから球場の雰囲気、ファンの人たちが特別な空気を作ってくれて迎えてくれたことから始まったんですけど、ずいぶん長い時間、まぁホームで決めるというのがなんとなく人が描いたイメージだったと思うんですけど、なかなかそんなうまくいくわけもなく、それも分かっていたことですし。でも、これだけ長い時間、特別な時間を僕にプレゼントしてくれたっていう風に考えれば、この使われ方もよかったなというふうに今は思います」

――その時はそういう風に思えないこともあったと思いますが。

「人に会いたくない時間もたくさんありましたね。誰にも会いたくない、しゃべりたくない。僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけども、なかなかそれもうまく行かずという、という苦しい時間でしたね」

「3000を打ってから思い出したことは、このきっかけを作ってくれた仰木監督」
――イチローさんのヒットには全て意味がある。ただ打ってきただけでないと感じているが、そのことについては?

「ただバットを振って……まぁバットを振ること、それ以外もそうですよね。走ること、投げること。全てがそうですけれども、ただそれをして3000本はおそらく無理だと思いますね。瞬間的に成果を出すことはそれでも出来る可能性はありますけども、それなりに長い時間、数字を残そうと思えば、当然、脳みそを使わなくてはいけない。まぁ使いすぎて疲れたり、考えてない人にあっさりやられることもたくさんあるんですけど、でも、それなりに自分なりに説明はできるプレーをしたいというのは僕の根底にありますから、それを見ている人に感じていただけるなら、とても幸せですね」

――イチローさんはよく感謝という言葉を使います。この3000本を打ったこの日に、感謝という言葉をどなたに伝えたいか?

「それはありきたりになってしまいますよね。これだけ長い時間いろんな場所から集まってくれて、それはもう今さら言うまでもないですよね。でも、3000を打ってから思い出したことは、このきっかけを作ってくれた仰木監督ですね。神戸で2000年の秋に、お酒の力を使ってですね、僕が口説いたんですけど、その仰木さんの決断がなければ何も始まらなかったことなので、そのことは頭に浮かびました」

――イチローさんほど野球を好きな選手はいないんじゃないかと感じる。どうしてそんなに野球を好きでいられるのか。

「そんなこと僕に聞かれても困りますけどねぇ。どうでしょう……うまくいかないことが多いからじゃないですか。これはもし成功率が7割を超えなくてはいけない競技であったら、辛いと思いますね。3割で良しとされる技術なんで、まぁ打つことに関しては。これはもういくらでも自分の『志』と言ったらちょっと重いですけども、それさえあればその気持ちが失われることはないような気がしますけどね」

「次こういう状況が生まれるとしたら、4000(安打)しかないですからね」
――到達までに苦しんだ印象があるが、それは何が影響したか?

「代打じゃないですか? 代打。それはしんどいですよ。ただでさえ代打ってしんどいですからね。この状況で代打で結果が出ないっていうのは、ダメージ大きいですよ」

――代打で結果が出ないということは、精神的にダメージが倍加するか?

「倍かどうかわからないですけど、重いですね。それなりに僕も、切ったら赤い血が流れますから。緑の血が流れてる人間ではないですから。感情ももちろんあるし、しんどいですよ」

――3000安打は通過点だと思うが……。

「僕は通過点とは言ってないですよ。ゴールとも言ってないけど」

――この次はどういったことをゴールに置いて進んでいくか?

「どうかなあ? 次こういう状況が生まれるとしたら、4000(安打)しかないですからね。そこまではなかなかですから。まあでも200本を5年やればね。なっちゃいますからね。どうっすかねえ? 3000っていうとみんな、ホール・オブ・フェイム(野球殿堂)とつなげることが多いと思うんですけども、僕にとっては将来そんな、いつの日のことか分からないことよりも、まあ明日の試合に出たいっていうことが大事なことだということですね」

――昨年と今年と残っている数字に違いがあると思うが、オフの期間にどういったことを変えたのか?

「わかりやすい数字の目標があったので、それはいつの段階でかっていうのはわからないですけども、今シーズン中にやりたいというふうには思ってました。あのローズおじさんの記録と、この3000っていうのはわかりやすい数字だったので。でも、春の段階ではどういう起用のされ方か、まったくわからない状況でしたから。ざっくりとそういうものがあったという程度ですね」

達成後の打席は「できればホームランを打とうと思いました」
――モリター監督が3000安打に近づくにつれて今までとは違う重圧を感じて、その先にはとてつもない快感があったと話していたが、これまで達成してきた記録と比べて違うものは感じたか?

「それはあるんですけど、そもそも毎日先発で出て、5打席、毎日立った中で、じゃあ10試合結果が出ないことと、その代打で1打席ずつ、同じ10日間でもまったく意味が違うことなので、実はそのこれくらいのことはあるよねっていう感じだったんですよね。僕の中では。まあしんどいですけど。当然、普段とは違う精神状態に追い込まれて、勝手に自分で追い込むんですけど、追い込んだ中で結果を出すことが難しいのはわかっていますから、まあ当たり前のことが起きた、考えられることが起きたということなんですよね。明日からのことわからないです。ただ、そうなるんだろうという推測はしますけど」

――今日の試合で感情の振れ幅というのは大きかったと思うが、一番振れた瞬間というのはどういうものだったか。

「この国には、さっきも言いましたけど、粋という概念がない中で、でも察するという概念はあるんだなというふうに感じていて、みんな察してくれてるんだって。1打席、2打席、3打席と終わった時に誰も何も言わないんですよ。それがうれしかったですね。みんな口にしなくても、言葉にしなくてみんなわかってくれてる。だからこそ結果を出したいという気持ちがもっと強くなるし、まあでも誰も声をかけなかったというのは本当にうれしかったです。だからまあ、あのヒットが出た時は、当然そのギャップがあるわけですから、みんなのあの顔を見た時はすごく安心しました」

――これまで記録を達成してきた時は、必ずその試合か次の打席で次の1本というのを放ってきたと思うが、3000安打を達成した次の打席の気持ちというのはどういうものだったのか?

「仰るとおりです。打ちにいきました。できればホームランを打とうと思いました。(カウント)3-1から狙いにいきました。で、3-2のカウントになって、おそらく3000を達成していなければ、体が反応して打ちにいったと思います。それで凡打になったと思います。ファウルもしくは凡打です。あれを打ちにいくのをやめたことっていうのは、3000を打ったことによってそうさせたんだと言えると思います」

――3001本目が持ち越されたが、それはマイアミのファンの前で打つことになるが、そこについては?

「それは3001本も3002本もそうなんですけど、これはもし今日3001本を打ったとしても、3002本目はそうなるわけで、そこにあまり大きな意味はないかもしれないですね。その数に」

――マイアミのファンに向けたメッセージと。

「次のヒットがそういうメッセージであるということは想像していますけれども、それもごくごく普通のことといえば普通のことですよね。ロードで達成して、ホームに帰って。次どういう起用のされ方かわからないですけど、次に立つ1打席というのはまた違う意味で特別なものになるというふうに想像はしています」

【了】

フルカウント編集部●文 text by Full-Count


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2016年8月10日 (水)

今日のたまプラーザ囲碁クラブ

戦績は、相手に恵まれたこともあって、
⚪️⚫️⚪️⚪️⚪️⚪️(5勝1敗)


勝負事は、やはり勝つと嬉しいです(*^_^*)

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2016年8月 9日 (火)

今朝の散歩も、小杉御殿町

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赤、


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水色、

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黄色のハイビスカス(*^_^*)


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2016年8月 6日 (土)

朝の散歩は、小杉御殿町

セミと、


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カモと、


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顔のような葉っぱ(*^_^*)

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2016年8月 4日 (木)

今朝の朝食前の散歩も、いつもの矢上川沿い

白いコサギの飛翔(*^_^*)


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2016年8月 3日 (水)

今朝、待ちに待った


朝顔が・・・
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咲きました(*^_^*)

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2016年8月 2日 (火)

今日の午後は、横浜港に行って来ました(*^_^*)

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日本郵船歴史博物館と、帆船日本丸・横浜みなと博物館

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赤煉瓦倉庫


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赤煉瓦倉庫の前の・・・


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二人の美女(*^_^*)


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みなとみらい地区


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日本丸

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2016年8月 1日 (月)

空き缶をこんなにたくさん、集めましたね〜

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「これで、いったいいくらで売れるんですか?」と、聞こうと思ったのですが、聞けませんでした(:^-^:)


空き缶をリサイクルすると、ボーキサイトからアルミ缶をつくるのに比べ97%も電力を節約できるそうです。(*^_^*)

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